(十戒講解 その3)「神の御名をたたえよ」

(8月16日の説教から)

牧師 原田 多恵子 

出エジプト記20章1~7節

第3戒は「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」(出エジプト記20章7節)です。それは「呪いや偽りの誓いによってのみならず、不必要な誓約によっても、神の御名を冒涜または乱用することなく、黙認や傍観によっても、そのような恐るべき罪に関与しないということ(ハイデルベルク信仰問答、99a)」ということであります。この「みだりに」というのは、祈りのとき、頻繁に主の名を叫ぶということよりも、わたしたちの怒りや嫉妬の感情によって人や運命を呪ったり、また自分の都合や利益のために安易に神の名を利用する誓いが問題とされているのです。主イエスも「しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない(マタイ福音書5章34節)」と語られました。旧新約共に「神の名によって誓ってはならない」といっているのです。

それは、わたしたちが、高貴なものを汚し乱用する罪の傾向をもっているからです。1973年の「エクソシスト」というアメリカ映画に、地下鉄のホームにいた老人が「ジーザス・クライスト」と吐き捨てるように言うシーンがありました。その意味は、口にするのも憚れるスラング(卑語、俗語)で、キリスト者が大切にしている救い主の御名を、全く反対の意味で使ったのです。それは、自覚が無くても冒涜です。

さらに、わたしたちがみだりに神の名を唱えることは、神に自分を守る保障を強要し、自分の都合に合わせて、神を利用することになります。造られた人間が、創造者である神よりも優位に立っているのです。

この第3戒が示している自由な律法は、わたしたちが「畏れと敬虔、恭(うやうや)しさによらないでは、神の聖なる御名を用いない」ということであり、「神がわたしたちによって正しく告白され、呼びかけられ、わたしたちのすべての言葉と行いによって、讃えられる(同問答、99b)」ということです。

イスラエルの民が、葦の海を渡り、強襲する敵から逃れたとき、女預言者ミリアムと女たちは、小太鼓(GNB訳はタンバリン)を持って、主の偉大な救いの御業を踊りながら「主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し(出エジプト記15章20節)」と賛美しました。そのように、わたしたちも神の御名を、救い主の御名を心から讃えるのです。

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