「命を回復させたもう主」 (6月26日の説教から) 原田 史郎 牧師 ヨハネによる福音書4章43~54節 カナに入られた主イエスのもとに、王の役人が来て「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼み」ました。息子が重い病で、死にかかっていたからです。主は「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、この役人に言われました。「あなたがた」とは、カファルナウムを含むガリラヤの人々を指しています。彼らは「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と主が言われるほどに、主の教えを聞くことに頑なでした。しかし役人は、子どもを案ずる父親として、ひるまず訴え続けます。「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」 この訴えに主イエスは「帰りなさい。あなたの息子は生きる」と言われました。すると「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」のでした。 この人の訴えに何があったのでしょうか。この役人は、主イエスのみ手の中に命があると信じていました。現代の科学は、人の受精卵の遺伝子を改変して、親が望む能力や容姿も自由に出来るデザイナーベビーまで生み出すことが可能となりました。(国際会議は、かろうじて子宮に戻す臨床利用を禁止しています) でも命は、これを生み出された神のみ手の中にあることを忘れてはなりません。 さらに、この父親でもある役人は、主が受け止めてくださるならば、必ずいやしのみ業がなされると信じていたのです。それは、しるしを求める自分中心の確実性の保証ではなく、主の御言葉を信じる、主への深い信頼があったのです。 ホセアは「わたしは背く彼らをいやし/喜んで彼らを愛する(ホセア書14章5節)」と神の思いを伝えました。この役人の息子の病はいやされ、命が回復されました。わたしたちも、命を回復させたもう主に信頼して生きるのです。 |