「キリストにあれば死んでも生きる」 (10月2日(日)の説教から) 牧師 原田史郎 ヨハネによる福音書11章38~44節 主イエスが、ベタニアに到着されたときには、ラザロはすでに墓に葬られて、4日目になっていました。洞穴の墓は、入口を石でふさがれていましたが、主は「その石を取りのけなさい」と言われます。この石は、生と死を区切る石で、これが置かれたとき、どんな人間の努力も及ばない絶望と悲しみの中に、わたしたちは一切をあきらめるしか術がありません。 しかし主は、罪のもたらす不条理な死に「心に憤りを覚えて」立ち向かわれます。主はためらうマルタに「もし信じるなら、神の栄光を見られると、言っておいたではないか」と言われます。「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれると、彼は布で巻かれた姿で出て来ました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と言われた主のみ業でした。 |