「わが心、祈りの宮とせん」

1月29日(日)  

牧師 原田 史郎

マタイによる福音書21章12~16節

 「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰かけを倒された」マタイは、エルサレムに入城されたイエスが、まず神殿で「宮きよめ」といわれる振舞いをなされたことを記します。境内である異邦人の庭は、献金用にイスラエル半シュケル硬貨に替える両替人や、鳩や羊など供えものを売る家禽商人の売りつけの声、それを値切る参拝者たちの声で、喧騒をきわめていたと思われます。またこの商いから上がる利益は、神殿当局のトップである大祭司アンナス一族の独占的権益でもありました。神殿の境内が、市場のように人々の欲望の場になっていることに、主はいたく心を痛められました。

 「『わたしの家は、祈りの家とよばれるべきである。』ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている。」と主は、イザヤ書56章7節を引用して言われます。かつてヤコブは、何も無い荒野の真中で、神のみ使いたちが、天に達する階段を上り下りしている夢を見ました。眠りからさめたヤコブは「まことに主がこの場所におられたのに、わたしは知らなかった(創世記28章16節)」と告白しました。荒野の真中に神殿があったのです。

使徒パウロは「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか(コリントの信徒への手紙一3章16節)」と言いました。わたしたちの日々の歩みが、欲望と喧騒の市場のようなものではなく、主イエスの求められる「祈りの家」として整えられなければなりません。

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