「心を騒がせるな」

5月14日

牧師 原田史郎

ヨハネによる福音書14章1~14節

主イエスは、最後の食事の席で、ご自身が弟子たちから離れ、天に帰られることを話されました。この言葉を聞いたとき、弟子たちの心は騒ぎ立ちます。すると主は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と言われました。この「騒ぐ」とは、心がバラバラに分裂することをいいます。今、危機的な事態が起ころうとしているのに、彼らは確りと立つことが出来なくなっているのです。ですから、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」と主は言われたのです。

 さらに主は「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と言われます。

「住む所(モナイ)」は「とどまる(メネイン)」という動詞から出来た言葉で、ここではマンションや住宅のような建物をイメージするものではありません。この後、主はぶどうのたとえ話の中で「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている(15章4節)」と、主とわたしたちの深い結びつきについて語られました。この箇所はまた「我に居れ、さらば我なんじらに居らん(文語訳)」で「居る」とも訳された言葉です。すなわち、主が弟子たちに約束された「住む所」は「居る処」「とどまる場所」であり、意味を含めていえば「主イエスが共にいてくださる場所」だということでありましょう。

するとトマスは「主よ、どこに行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」と聞きました。主は「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」と言われます。

哲学者の堀秀彦さんは、絶筆になった文章で「わたしは死の大海に呑み込まれて行く。神がいるかもしれぬ。仏がいるかもしれぬ。だが目はかすみ、一切が定かではない」と書いて筆を置きました。しかし、わたしたちの前には「わたしは道である」と言われる主イエス・キリストがおられます。ですから、かすむ目であっても、神を見上げ、主イエスに信頼するのです。心を騒がせることはないのです。

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