主の晩餐

9月16日

牧師 梁 在哲

マルコによる福音書14章22~26節

御子なる主イエスは「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)として御父の御旨に従い、十字架の死に至るまで従順でおられて御自ら、過越祭の小羊となられて主の晩餐‐聖餐‐を備えて下さった。主イエスはその「晩餐」の時、パンを取り、讃美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて命じられた。「取りなさい。これは私の体である」(22節)。また、「祝福の杯」をお取りになり、感謝の祈りを唱えて、弟子たちにお渡しになって言われた。「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」(24節)。旧約はモーセのシナイ山の契約(出エジプト248)‐古い契約‐を通して成り立ったが、新約は「世の罪を取り除く神の小羊」の十字架の血潮による新しい契約を通して成り立つゆえに私たちは十字架の血潮による罪の贖いを信じることによって救われるのである。

主イエスは「新しい契約のしるし」として「主の晩餐」が一人一人を超えてより「多くの人のために」備えられたことを言われた。世の罪を取り除く神の小羊の血は「多くの人のために」流されたゆえに主の晩餐‐聖餐‐は世に開かれたものにならなければならないのである。私どもの南房教会は今年度の教会標語を「主イエスに倣って宣べ伝える教会」と、掲げているが、「多くの人のために」流された主イエスの血潮の契約に既に結ばれた群れとして、私たちは主イエスの良いお知らせを、まだ知らない人々に「あなた方のためにもキリストは血を流された」ことを宣べ伝えつつ、「主の晩餐‐聖餐‐」にあずかる度に「折を得ても得なくても、御言葉を宣べ伝えることが出来ますように」と、繰り返して感謝の祈りを捧げ続けているのである。

主イエスはこの食卓が地上において最後の過越祭のものであると同時にご自身、再び来られる神の国において新たに行われることを明らかにされた。「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、葡萄の実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」(25節)。主の晩餐は主イエスが再び来られる神の国の小羊の婚礼の宴において天の食卓が整えられるゆえに「最後ではない最後の晩餐」となったが、私たちも「神の国の宴会」を先取りして繰り返して聖餐の御恵みにあずかっているのである。主イエスは杯を飲まれた後、最後に讃美を唱えられて食事終えられてエルサレムの東側ギデロン川を渡ってゲッセマネに行かれた。

「取りなさい。これは私の体である」、と主イエスより命じられたゆえに私たちは全ての人々の罪の贖いのため十字架で裂かれた主イエスのお体を記念して「多くの人のために」流された主イエスの血潮の契約に既に結ばれた群れとして、まだ主イエスの良いお知らせを知らない人々に「あなた方のためにもキリストは血を流された」ことを宣べ伝えて、主イエスが再び来られて備えて下さる神の国の新たな宴を待ち望みつつ、地上の信仰の旅路を全う出来るように切に願うのである。

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