キリストの新しい秩序

2月3日

牧師 梁 在哲

ルカよる福音書5章33~39節

主イエスは人々より罪人だと軽蔑されていた徴税人レビを弟子として招いてくださった後、ファリサイ派の人々から断食について問われた。「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています」(33節)。しかし、主イエスご自身、公の生涯の前に荒れ野で聖霊に導かれて40日間、昼も夜も断食された。初代教会もバルナバとパウロを断食とお祈りをもって宣教地へ派遣した。そこで主イエスは花婿と婚礼に招かれた友たち、新しい布切れと古い服、新しい葡萄酒と古い革袋のお話を宴会に因んでたとえられた。それはご自身の働き-人間の罪をお赦しになり、救いを与えになるためご自分の命を十字架の上で捧げられる-によって始められる新しい筋道、新しい秩序のことであった。その新しい筋道は御子イエスを通して開いてくださった御父ご自身への一筋の道である。

「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか」(34節)。主イエスは弟子たちを花婿の友たちである婚礼のお客と呼ばれた。ところが、花婿でおられる主イエスと共にいる間、弟子たちには断食する必要はなかったが、十字架の上で亡くなられて分かれる時には、悲しみに沈んで断食をすることを言い始められた。「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その時には、彼らは断食することになる」(35節)。主イエスは十字架でなくなられて、弟子たちの間から「奪い取られた」にも関わらず、復活なさった主イエスは弟子たちの断食が長引いてしまうことを願っておられず真っ先に弟子たちと食事を共にされたゆえに代々の教会は復活なさった主の食卓を喜び祝い続けて来たのである。主イエスはその喜びを弟子たちにこう告げられた。「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、私は再びあなたがたと会い、あなたがたには心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」(ヨハネ16:22)。

その喜びこそ、多くの人々が古い葡萄酒に酔いしれて新しい葡萄酒を試すことすら望んでいない状況の中で主のお体なる教会を新しく変えることができるものではないだろうか。何故ならば、発酵力の強い新しい葡萄酒が弾力の弱い古い革袋を破ってしまうように主イエスのご復活の力に溢れる新しい秩序-新しい筋道-を間違った断食のような古いものは耐え切れなくなるからである。今も主イエスは私たちをその喜びへと招いて下さるゆえに、その喜びは「天の国の宴会の先取り」として主日礼拝において聖餐式の度に続けられているのである。私たちは主イエスよりその喜びへ招かれた者として折を得ても得なくてもその喜びを世の人々に宣べ伝え続ける者でありたいと切に願うのである。

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