病と痛みを担われる主

2月24日

牧師 梁 在哲

ヨブ記2章1~10節

ルカよる福音書5章12~16節

「主よ、御心ならばわたしを清くすることがおできになります」(12節)、と全身重い皮膚病にかかった人は主イエスにひれ伏して願った。その人の重い皮膚病は主イエスより差し伸べられた御手と言われたお言葉によってたちまち去った。「よろしい。清くなれ」(13節)。主イエスは全身重い皮膚病に苦しんでいた人を触れられることによって「汚れ」を担ってくださり、その人に「清さ」をお与えになった。それを預言者イザヤはこう預言した。「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神に手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と」(イザヤ53:4)。 

主イエスはわたしたちの貧しさ、汚れ、罪を担ってくださってわたしたちに豊かさ、清さ、義をお与えになられたのに、わたしたちはいつも「皮には皮を」(ヨブ2:4)求めている弱い者である。主イエスはそのようなわたしたちの弱さをよくご存じのゆえに祈りの模範をお示しになり、「人里離れた所に退いて祈っておられた」(16節)。わたしたちは主イエスが担われた十字架を仰ぎつつ、自分の十字架を担わせていただく力を強められるようにそれぞれ自分の「人里離れた所」で祈り続ける者でありたいと願うのである。

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