十分に整えられる者

6月30日

牧師 梁 在哲

テモテへの手紙二3章10~17節

テモテへの手紙二は、再び投獄された使徒パウロがローマの監獄で書いた最後の手紙であり、自分の死を予見し、遺言のような書簡であった。テモテという名前は「神を畏れ敬う」という意味であり、父親はギリシャ人、母エウニケと祖母ロイスは、ユダヤ人であった。ユダヤ人は5歳で両親から聖書を教わり、6歳からラビから学ぶように、テモテも幼い頃から家庭で母と祖母から聖書を教わった。小アジアのリストラ出身であるテモテは、パウロの第1次伝道旅行の際、悔い改めてパウロは「信仰によって生まれた、信仰の息子」と呼ぶほど彼を愛したのである。

テモテの故郷リストラで、人々はパウロとバルナバを神と崇めようとした。しかし、ユダヤ人たちがアンティオキアやイコニオンからやって来てパウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って町の外へ引きずり出したが、弟子たちに囲まれた時、パウロは起き上がった。その群れの中にテモテも一緒にいた。その出来事がきっかけで彼は悔い改め、パウロは第2次伝道旅行の折、リストラを再び訪れた際、テモテが信じる者の間で尊敬される弟子として知られていたので彼に同行するように願った(使徒16:2~3)。

テモテはパウロに同行するだけではなく、大事な務めにおいても代理人として働き、後にパウロの六つの手紙の共同著者となり、二つの手紙をパウロから受けるようになった(テモテⅠ・Ⅱ)。そしてパウロは自分の臨終が近づいたとき、「是非、急いで自分の所へ来てください」とテモテに願った。パウロは自分の苦難の体験をあげて模範を示し(10~13節)、テモテが聖書の教訓を堅く守り、教えることを指示し(14~17節)、聖書の権威について証した(15~17節)。パウロの願い通りにテモテは、立派な福音の伝道者となっていたのである。

テモテがそのように揺れることなく信仰から離れず、勇気を保つことができたのは、「幼い日から聖書に親しんできた」(15節)からである。「聖書は神に仕えるテモテに善い業を行うことができるように、十分に整えてくださった」(17節)。今日、教会の合同礼拝において将来のテモテが共に座っている。代々の教会は、「幼い日から聖書に親しんできた」テモテのように、幼い子どもたちに聖書のことを伝え続け、それゆえ今も聖書は、「福音伝道に励んでゆく者に主イエスの愛の業を行うことができるように全ての準備を備えて、十分に整えてくださる」のである。

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