キリストの大声

524日の説教

梁在哲牧師

列王記下2章1~15節      ヨハネによる福音書7章32~39節 

仮庵祭が近づいた頃、主イエスは、再びエルサレムの方に上って行かれ、神殿の境内で教え始められた。その後、ファリサイ派の人々は、群衆の人気がナザレのイエスに傾いていることに気付き、妬みに燃えて、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした(ヨハネ7:31~32)。そこで、主は下役たちに言われた(33~34節)。しかし、ご自分の十字架の死を通して人知を遥かに超えられ、御父のもとへお帰りになる御子を、彼らが人間の時間と空間の中で捜しても見つかることも、来ることも出来なかった(35~36節)。

ユダヤ人たちは、救い主は、仮庵祭の間、来られると堅く信じ、祭司長は、祭りの每朝、水を汲んで来て、祭壇に注いだ。昔、荒れ野で飲み水が無くなった時、神が岩からご自分の民に飲み水をお与えになったことを記念し、麦の種を蒔く時期に、十分な雨がり注ぎ、聖霊を注いでくださるよう神に願った故事による。仮庵祭の終りの日には、長い荒れ野での暮らしを終えて、約束の地カナンに入った出来事を記念し、仮庵を畳んで、皆、自分の家に帰った。人々は、祭りの最後の日こそ、昨年の罪が赦される「最後のお赦しの日」になることを喜び、祭壇に水を注ぎ、棕櫚の葉を振りながら踊った。その時、主は荒れ野での出来事を顧み、エルサレムの神殿の境内で喜び祝う人々に、立ち上がって大声で言われた。

主は死んだラザロの前で(ヨハネ11:43)、また、十字架の上でわたしたち人間の罪を背負われ、大声で叫ばれ(マタイ27:46)、仮庵祭の終わりの日に神殿の境内でお声を張り上げて大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私の所に来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人のから生きた水が川となって流れ出るようになる。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人のから生きた水が川となって流れ出るようになる」(37~38節)と。主はイスラエルの先祖が飲んだ霊的な岩こそ、キリストご自身であり、(コリントⅠ10:4)、「打ち砕かれた岩」を通して永遠の命に至る生きた水(ヨハネ4:14)を飲むように、またご自身約束してくださった聖霊を受けるように勧められた。

主は、十字架で亡くなられ、三日目に死人の内よりよみがえられ、わたしたちに永遠の命を与えてくださり、ご自身、まことの「打ち砕かれた岩」となられた。神は、「荒れ野で岩を開き、深淵のように豊かな命の水を飲ませて、その開かれた岩から命の水は、大河のように流れ下った」(詩編78:15~16)からである。ペンテコステを控えているわたしたちは、ご自身、まことの「打ち砕かれた岩」となられた主が、わたしたちに永遠の命に至る生きた水を飲ませて、聖霊を満たしてくださるように願いつつ、いまだに主を知らない人々に「渇いている人は、誰でも主イエス・キリストの所に来て飲みなさい」と大声で宣べ伝えたいと願う。

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