苦難に遭う時

7月19日の説教

梁在哲牧師

 

 

詩編34篇16~20節     ローマの信徒への手紙8章35~39節 

神から食べるなと命じられた善悪を知る木の実を食べてしまい、エバは出産の苦しみを、またアダムは、生涯食べ物を得ようと、顔に汗を流してパンを得る苦しみを大きなものにされた(創世記3:16~19)。エデンの園から始まった人間の苦難は、アブラハム、ヨセフ、ヨブなど旧約聖書の人物を通して綴られている。使徒パウロも三度にわたった伝道旅行中に出遭った数々の苦難を通して示された神の愛を力強く証した。彼は、マケドニア州やアカイア州の諸教会から募られた献金を携えてエルサレム教会に行く前に、コリントでローマ書を書き記した。彼は戦争に負けたイスラエルが神のため一日中死にさらされた苦難に(詩編44:23)、自分も出遭ったと証した(36節)。

しかし、福音伝道のために出遭った数々の苦難は、決して神の愛、ことに御子によって示された神の愛からわたしたちを引き離すことはできないとパウロは、力強く証した(ローマ8:35)。その御子をさえ惜しまず十字架の死に渡される父なる神の愛(32節)から誰がわたしたちを引き離すことができるだろうか。誰が十字架でなくなられ、三日目に死人のうちよりよみがえられ、神の右に座しておられ、わたしたちのために執り成してくださるキリストの愛(34節)からわたしたちを切り離すことができるだろうか。更に彼は、それらすべてのことにおいてキリストの助けによって輝かしい勝利を収めていると確信した(37節)。それはコールド・ゲームのような圧倒的な勝利である。

人間の領域を遥かに超える霊的な存在による苦難に対して収める輝かしい勝利は、御子によって示された父なる神の圧倒的な愛の力によるものであるとパウロは確信していた(38~39節)。なぜなら、死はキリストの十字架の死のゆえに、命はキリストのご復活のゆえに、天使、支配するもの、現在のもの、未来のものは、キリストが神の右に座しておられるゆえに、また力あるもの、高い所にいるもの、低い所にいるもの、他のどんな被造物はキリストがわたしたちのために執り成してくださるゆえに、わたしたちをキリストによって示された神の愛から、引き離すことはできないからである(34節、38~39節)。ダビデは、サウロ王から逃れてガードの王アビマレックの前で気が狂ったように装った。しかし彼は追い出され、その苦難の中で自分の罪を悔い改め、神に助けを求める祈りを捧げた(詩編34:16~20節)。

度重なる自然災害やコロナ・ウイルス蔓延の兆しが見え始めた先年度の苦しい経験、そして人間の領域を超える霊的な存在による苦難に遭う時、わたしたちは、恐れおののき、勝利どころか、到底耐え切れない弱い存在ではないだろうか。苦難に遭う時、わたしたちは、父なる神に助けを求めつつ、御子イエスのみ姿を仰ぎたいと願う。御子は、十字架の死を耐え忍び、わたしたちが気力を失い疲れ果ててしまわないようにご自分に対する罪人たちの反抗をも忍耐されたからである(ヘブライ12:2~8節)。わたしたちは、既に世に勝っておられる御子イエスによって示された父なる神の愛の輝かしい勝利を確信しつつ、この地上の旅路を歩み続けたいと願う。

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