ヨルダンの向こう側

10月4日の説教

梁在哲牧師

 

箴言3章13~20節       ヨハネによる福音書10章31~42節

ユダヤ人たちは、またイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、再びヨルダンの向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていたところに行き、そこに滞在された(39~40節)。ヨルダン川の名称の由来は、ヘブライ語で流れる意味の「ヤラド」と川の水源を意味する「ダン」を合わせて生じたものである。イエスは、公の最後の証しもユダヤ人たちに押し退けられ、ヨルダン川の東側に行かれた。ところが、福音は思いがけないところで歓迎され、福音に忠実に仕える者も意外なところで現れる。川の東側の多くの人が、イエスのもとに来て、以前洗礼者ヨハネがあなたについて話したこと(ヨハネ1:26~31)、また証したことは(1:32~34)、すべて本当だったと言った(41節)。そこで、「多くの人がイエスを信じた」(42節)。そのように3年前、洗礼者ヨハネによって撒かれた福音の種を収穫された。

ヨルダン川を挟む西側のユダヤ人たちは、イエスに出会い、その証を聞いても信じるどころか、信じない理由だけを探していた。一方、東側の人々は、主の道を整え、その道筋をまっすぐし、荒れ野で叫ぶ洗礼者ヨハネの声(マタイ3:3)を聞き、そこでイエスに出会い、信じるようになった。彼らはイエスを信じる確かな理由を探していた。自分は、イエスを信じる確かな理由を探しているのか、それともイエスを信じない確かな理由を探しているのか。これは自分への真剣な問いであり、正直な答えこそ、永遠の命に関わっている。わたしたちは、その問いに世の人々が真心をもって答えるように折を得ても得なくてもイエス・キリストの十字架と復活の出来事を証しつつ、この地上の旅路を歩み続けたいと願う。

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