父への一筋道

5月2日の説教

梁在哲牧師

 

サムエル記下1章17~27節     ヨハネによる福音書14章1~11節

二階の広間に集まった弟子たちの心は、揺れ動いていた。イスカリオテのユダの裏切りやペトロがイエスを否認し、また主のお別れの話を聞いたからである。イエスご自身もこの数日間、ラザロの死の前に憤りを感じられ、心を騒がせられた(ヨハネ12:27)。そこで主は、ご自分の十字架の死と復活を通して父なる神のもとに至る道を開き、住む所をたくさん用意してくださると言われ、動揺する弟子たちを慰められ(ヨハネ14:1~3)、主はその道を弟子たちが当然、知っているはずだと言われた(4節)。ところがトマスは、「主よ、どうして、その道を知ることができるでしょうか」と言った(5節)。儒教の祖師・孔子は、「朝、道について聞かれたら日暮れに死んでもよい」と言い、お釈迦様は、道を探して出家し、10年間苦行した。また、数多くの哲学者たちもその道を探し、伝えて来た。しかし、キリストは、ご自分を真理と命に至る道、そのものであると言われた(6節)。

詩編の記者もトマスのような問いを神にたずねた。「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を步みます。御名を畏れ敬うことができるように一筋の心をわたしにお与えください」と(詩編86:11)。その問いは、主イエスにおいて答えられた。御子は、垂れ幕、つまりご自分の肉を通して「新しい生きた道」をわたしたちに開いてくださり(ヘブライ10:20)、その「道」を通してわたしたちは、まことの「真理」の中を歩むことが許されたからである(ヨハネ1:18)。今も御子は、御名を畏れ敬う「信仰告白」と共に一筋の心を与えてくださる「聖霊の働き」を通して、わたしたちに「永遠の命」が与えられるように願っておられる。わたしたちは、「永遠の命」への望みを抱くように聖霊の御助けを求めつつ、御子において開かれ、「まことの真理」に至る、「御父への一筋道」を歩み続けたいと願う。

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