神の民の選び 11月6日の説教 梁在哲牧師 創世記18章1~15節 ローマの信徒への手紙9章1~9節 使徒パウロは、イスラエルの不信仰は神の自由な選びによる計画であることを知りながらも、「大きな悲しみと心には絶えず痛みがあり、もしできることなら、同胞のためにこの自分がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい」と執り成した(ローマ9:2~3)。イスラエルが滅ぼされないように執り成したモーセのように、パウロは自分の同胞のためなら自分を捨てても構わない強い愛を表していた(出エジプト32:31~32)。ところが、パウロの悲しみと痛みは、単純な同胞への愛や憐れみから湧いて来るものではなく、選ばれた民として受け継いでいる驚くべき権利のためであった(ローマ9:4~5)。そして、肉のイスラエルの子孫が皆、真のイスラエルではなく、「約束に従って生まれる子ども」がアブラハムの子孫であると証した(6~9節)。信仰の民は、血縁によって選ばれるのではなく、信仰によってのみ確実に約束にあずかれることを、パウロは確信したからである。 75歳となったアブラハムは、行き先も知らずに主なる神に命じられたまま、生まれ故郷を離れた。その旅は、主なる神の一方的な選びとご約束への信頼から始まった。困難な旅路の中で主への信仰は強められる一方、息子が生まれる約束については、疑いを抱いていた(創世記18:10・12~15)。しかし、妻サラだけが笑った訳ではなく、彼自身も99歳に割礼を受け、主なる神から妻が男の子を生むようになると言われた時、密かに笑った(17:17~19)。しかし、主なる神は、夫妻のあざ笑いを憎まれることなく、息子イサクをお授けになり、ご約束の恵みと喜びに変えてくださった。自由な選びによる父なる神のご約束は、人の行いにはよらない(ローマ9:11~12)。御子イエス・キリストを救い主として信じる信仰によって神の御前に正しい者とされ、義とされる者のみ、その約束にあずかれる(ローマ4:13・16)。そのご約束を御子イエス・キリストは、「この杯は、わたしの血による新しい契約である」と言われた。聖霊の御助けによって御子イエス・キリストを信じる信仰に生き、自由な選びによる父なる神のご約束、新しい契約にあずかり続けたいと願う。 |