苦難を共にしてくださる主

3月12日の説教

梁在哲牧師

 

イザヤ書63章7~14節       ルカによる福音書9章18~27節

御子イエスが人の評判を受け、巷で言われる噂に左右される訳ではないが、弟子たちの信仰を確かめようと、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねた。そこでペトロは、「神からのメシアです」と答え、イエスは、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と、これから受けるご自分の受難を語られた(ルカ9:18~22)。

預言者イザヤは、「苦難の僕」として来られ、人間の苦しみを常にご自分の苦難とし、苦難を共にしてくださる救い主メシアの真実をこう告げた。「彼らを救い、愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔から常に彼らを負い、彼らを担ってくださった」(イザヤ63:9)と。詩編の記者は、「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった」と、人間の苦しみを共にしてくださる主なる神を褒め称えた(詩編107:6)。

使徒パウロは、「この福音のためにわたしは苦しみを受け」と告白し、その苦しみの中でも常に寄り添い、励ましてくださる真実であられるイエス・キリストを証した(テモテⅡ2:9~13)。御子イエスは、ご自分の十字架の苦しみとその死を通してわたしたちに寄り添い、苦難を共にしてくださった。そして、ご自分を身代金として払われ、罪と死の奴隷となっていたわたしたちを解き放ってくださった。御子イエスのご受難を覚える受難節のとき、聖霊の御助けによって悔い改める祈りを捧げつつ、御子イエスのご受難を通して示された父なる神の真実を褒め称えたい。

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