行ってあなたも同じようにしなさい

8月6日説教

梁在哲牧師

 

出エジプト記22章20~26節 ルカによる福音書10章25~42節

私どもの南房教会は、毎年8月の最初の主日、平和聖日礼拝において「日本基督教団戦争責任告白」と共に、戦争によって犠牲となった人々の魂を主の御手に委ねつつ、主にある真の平和を祈り続けている。いにしえの詩編の記者ダビデも、都エルサレムに上る際、その喜びを歌いつつ、エルサレムの平安と隣人の平和と幸いをこう祈った。「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように」と(詩編122:6)。

ところが、その祈りは、御子イエス・キリストを通して成し遂げられ、「真の平和」が訪れるようになった。何故なら、的外れの矢のように神から遠く離れ、神と敵対していたわたしたちを、父なる神は、御子イエスを通してご自分と和解させられ、また、ご自分とわたしたちとの間に置かれていた深い溝と敵意を御子イエスの死によって埋め尽くし、取り去られたからである。そして「和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになった」(コリントⅡ5:18)。

それらの務めは、イエスを試そうとしたある律法の専門家自ら答えた「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主なる神を愛する」ことであり(申命記6:5・11:13)、「隣人を自分のように愛する」ことに他ならない(レビ19:18)。それゆえ、イエスは、「永遠の命を得るために、また真の平和のために仕える務め」を、頭だけで覚え、暗唱することではなく、身をもってそれらを実行しなさいと、言われた(ルカ10:28)。

そして、「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われるイエスに律法の専門家は、「その人を助けた人です」と答えた。そこで、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われた(36~37節)。主なる神は、モーセを通してイスラエルも昔、エジプトの国で寄留者であったゆえに、寄留者と寡婦や孤児、また貧しい人を助ける者が真の隣人であり、それこそ、ご自分の御旨であることを言われた(出エジプト22:20~22)。

律法の専門家の答えを通してわたしたちは「真の平和のために仕える務め」から言訳して逃げようとする自分の姿に向き合うようになる。しかし、そのような弱いわたしたちに主イエスは、今もこの主日礼拝を通して、「行って、あなたも同じようにしなさい」とお遣わしになる。真の平和を思い改めるこの8月の時、わたしたちは、聖霊の御助けを求めつつ、父なる神が御子イエス・キリストを通してお授けになられた「真の平和のために仕える務め」に臨み、全うすることが出来るように祈り願う。 

前回 目次へ 次回