御言葉に従って旅立つ者

11月12日説教

梁在哲牧師

 

 

創世記12章1~9節     ローマの信徒への手紙4章13~25節

アブラハムは、75歳の時、主なる神より、「あなたは生まれ故鄕、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように」と命じられ、行き先も知らず、「主なる神の言葉に従って旅立った」(創世記12:1~2)。彼はハランを出発し、カナンに入り、シケムとベテルで主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ」(12:6~8)。使徒パウロは、「アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたゆえに、彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも 義と認められた」ゆえに、アブラハムへの主なる神のご約束は、律法に基づいたものではなく、信仰による義に基づいてなされた契約であることを証した(ローマ4:11~13)。

しかし、パウロは、「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられた」ゆえに、『それが彼の義と認められた』という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、わたしたちのためにも記されている」と証した。そして、「わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められる」と、信仰義認の本当の意味と根拠を明らかにした(ローマ4:23~24)。このように聖書は、律法を守り、善い行いを積み上げることによって義とされるのではなく、主なる神に召され、結ばれた契約に忠実に従い、信じる信仰によってのみ、主なる神に導かれることを証してくれる。

詩編の記者は、「主はとこしえに契約を御心に留められ、主なる神の千代に及ぼすように命じられた御言葉を、アブラハムと結ばれた契約、イサクへの誓い、ヤコブへの掟、イスラエルへのとこしえの契約として立て宣言された」と主なる神のお選びと、永遠なる契約の恵みと祝福を讃美した(詩編105:8~11)。アブラハムからイスラエルの民、そして新しいイスラエルとしてわたしたちに至るまで千代に及ぼす父なる神のご約束は、御子イエス・キリストの十字架と復活を通して成就された。わたしたちは、その大いなる恵みに感謝し、聖霊の御助けによって「御言葉に従って旅立つ者」に与えられる神の祝福とご約束の恵みを褒め称えたいと祈り、願う。

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