平和を造りだす者

     200982日 礼拝説教 原田史郎牧師

                    マタイ福音書5章1~12節

 「信徒必携」(教団の信徒の教会生活の指針)の中に「神の御旨に従って、国家の道義を高め、国際正義の実現をはかり、世界平和の達成を期すこと」という一文があります。この「世界平和の達成」の聖書的根拠のひとつは、マタイ福音書5章の主イエスのお言葉です。

 主イエスは山上の説教で「平和を実現する人々は、幸いである。その人々は、神の子とよ呼ばれる。」と語られました。この「平和」は、「エイレーネ」というギリシャ語ですが、もとの言葉は、「シャローム」というヘブルの言葉です。

 この「シャローム」には、「平和」と共に「救い」という意味があります。メシアが「平和の君」と呼ばれ、メシアが来臨する時、「平和は絶えることがない」(イザヤ9:5,6)と予言されているとおりです。

 

 主イエスはここで「平和を実現する人々は」と言われました。平和を祈る人々でもなく、平和を愛する人々が幸いである、と言われたのでは、ありません。私たちは、キリストによって、神さまとの間に、平和をいただきました。それは、ただ。私たちだけが平和を楽しみ享受することではないでしょう。

 主イエスの倣って、私たちもまた、平和を造りだす者として、この世へと遣わされるのです。そのとき「神の子」とよばれるでしょう。

 

 今年は、敗戦から64年目です。必ずしも誇れる戦後ではありませんが、ただひとつ誇りとしてよいものがあります。戦後の平和憲法によって、この国の軍事力が他国の人々に銃を向け、あるいは銃弾を発射して殺傷しなかったことです。

 小さくても、争いに満ちいたこの世界のなかで、平和と和解を生み出す者とならせていただきましょう。戦争責任告白は、戦時中、罪を犯した私たち教団の懺悔と謝罪であると同時に二度と戦争に加担しないという平和への決意なのです。 

前回 目次へ 次回