神の選び

200911月8日  説教 原田多恵子 牧師

  創世記 15章1~18節

 神はアブラムをメソポタミアのウルから選び出してカナンの地に導かれました。それはご自身の意図をアブラハムによって実現するためでした。そこで神は、アブラムに臨んで「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」と(15:1)仰せられました。「盾」とは神の保護、守りを意味します。「報い」とは何でしょうか。子孫と土地です。

 アブラムは「ご覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでした。だからわたしの家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」と反論します。当時の中近東では、子どものない人は、奴隷を養子として、養父母の世話を見、葬りに至るまで責任を持つ、その代わりに財産を受け継ぐ制度がありました。アブラムは自分で対策を考え、決めていました。人は神に問い、従うより、自分で考え、悩みながらも自分の判断と計画で動きます。

アブラムの問いに対して、神は彼を外に連れ出し「星を数えてみよ。あなたの祖孫はこのようになる。」と約束されました。「アプラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」とあります。まだ実現しないことでも、神の言葉を信じる時、神との関係が正され、神のものとなります。

 次に土地を嗣業として与える約束を、動物を二つに裂き、たいまつと煙を吐く炉が動物の間を通り過ぎることによって与えられます。子孫が苦難を受けることのしるしを400年におよぶ他国で4代が味わい、帰って土地を継ぐことが語られます。ここで大切なのは、アプラムが神を信じることで「義とされた」ことです。のちにパウロもルターもこの信仰に立って、主に仕えました。

今日わたしどもは「信仰によって」ヤコブのいう行いが出来るものとされるのです。

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