荒野の誘惑

2010年2月14日 説教 原田多恵子牧師

マルコによる福音書 1章12~15節

 

 主イエスは、洗礼を受けられた後、聖霊によって荒野へと導かれます。サタンから誘惑を受けるためです。この誘惑は40日間におよびますが、この40という数は、かつてイスラエルの民が、荒野を放浪した40年、モーセがシナイ山に4040夜こもり、神から十戒を授けられた40に対応するものです(出エジプト34:28)。それは、試練の旅でしたが、同時に神の民とされるための大切な期間でした。

 このサタン、敵の誘惑に対して、主イエスは、申命記の言葉によって勝利し、サタンを撃退されました。(これについては、マタイ、ルカに詳しく書かれています)。

サタンは、神の民を誘惑し、試みる者です。このサタンは、イエスの敵と成り、敵対者たちによって、主を十字架にまで送りました。だがそれは、主イエスが悪魔の支配の下にあり、苦しんでいる私たちを救うための神のお計画でした。

 荒野では、野獣が支え、天使が仕えました。それは、聖霊に満たされ、聖霊に導かれ、聖霊の力によって宣教される主イエスにとって、とても大切なことでした。このことは、洗礼を受けたものが、長い信仰生活の中でサタンの誘惑に遭うとき、主イエスの勝利によって、信仰の危機を乗り越えるために与えられたものでもあります。ある人は、このことは受洗教育のためである、とも言っています。

 「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」。 それゆえ、聖書が勧めているように、「憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ4:15,16)。

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