勝利を信じて遣わされる

2010年4月11日 説教 原田 史郎牧師

ヨハネによる福音書 20章19~23節

 

弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、家の戸に鍵をかけ、閉じこもっていました。そこに復活されたキリストが現れ、「あなたがたに平和があるように」(シャローム)と呼びかけられます。 主はわたしたちの恐れのなかに来給います。キリストがわたしたちの真中にいます時、そこには神の平安としてのシャロームがあるのです。教会の中心に、いつもキリストの姿が見え、臨在が覚えられることが大切です。

 

主を見て喜ぶ弟子たちに、イエスは重ねて言われます。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」主によって平和が与えられる時、わたしたちは、恐れや不安によって見失っていた自分と、本来の自分の使命や意味を再発見します。弟子たちは、キリストの語る神の国の福音に召し出されたものでした。すっかり確信を喪失した弟子たちに、主は「わたしもあなたがたを遣わす」と宣言されたのです。

キング牧師の「コーヒーカップの上の祈り」という話があります。公民権運動の最中、度重なる脅迫と迫害に心は暗くなり挫けそうになりました。コーヒーを飲んで落ち着こうとしても、悩みや心配は重くなるばかりでした。「わたしは弱く挫けそうです。」と祈った時、「見よ、わたしはあなたと共にいる。」という言葉が響いてきました。その声によってキング牧師は立ちあがることが出来たのでした。

 

そして彼らに息を吹きかけて言われます。「聖霊を受けなさい」。宣教に最も大切なことは、神さまの息吹きとしての聖霊です。主はご自身のなかに満ち満ちている聖霊を弟子たちに注がれます。罪と死に勝ち復活された主イエス・キリストによって、わたしたちもこの世へと遣わされているのです。

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