沖に漕ぎ出しなさい

2010年7月4日

説教 原田 史郎牧師

ルカ福音書5章1~11節

 

 主イエスが、ゲネサレト湖畔(ガリラヤ湖)に立っておられると、多くの群衆が、神の言葉を聞こうとして、押し寄せてきました。そこで主イエスは、舟から上がって網を洗っていたシモンの持ち船に乗られ、岸からすこし漕ぎだしたところから、岸辺の人々に教えを話されました。

 話し終わると、主イエスは、シモンに「沖に漕ぎだして網を降ろし、漁をしなさい。」と言われました。「沖」は、深みです。ゲネサレト湖の水深は、400メートルを超える所もあります。わたしは、少年時代、磯子の海岸沖に泳ぎ出たことがありますが、今まで暖かかった海水が、冷たくなり、暗緑色の底知れぬ深さに、恐れを感じたものでした。

 

 「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。」とシモンは答えます。ここには、シモンの経験と自負が表白されています。でも、その経験は収穫を得られなかった徒労と虚しさでもあったのです。だが、彼は、それに続いて「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と答えます。漁師たちがその通りにしますと、二そうの舟が沈みそうなくらいの大漁になりました。このことを知ったシモンは「主よ、わたしからは離れてください。」とイエスの足元にひれ伏したのでした。

 

 お言葉に従うとき、主はわたしたちの生涯を思いもかけないかたちで祝福されます。「恐れることはない。今からの後、あなたは人間をとる漁師になる。」と、主はシモンに言われます。これはまた、主のお約束でもあるのです。

 神さまが、若いエレミヤをお召しになったときにも、「わたしは、わたしの言葉を成し遂げよう。」(エレミヤ1:12)と言われました。神の言葉の力とその成就に信頼して、主に従っていきたいものです。

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