主に従う道

 2010年8月1日

 説教 原田 史郎牧師

申命記 10章12節~11章1節

 モーセは、申命記10章12節以下で、神様がイスラエルに求めておられるものを語ります。主が求められること、それは「ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩む。」ことであります。「主を畏れる」ことは、イスラエルにとって、単に内面的なものだけに留まらず、それは、「主の道に従って歩む」生活全般におよぶものでした。主の道に歩むことは、主のみ言葉に示された道を歩むことです。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119:105)

 今朝、わたしたちは「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦争責任告白)を礼拝で言い表します。それは、わたしたちの教団が、主を畏れる一点に忠節を貫くことが出来なかったことの懺悔であり、また、二度とこのような過ちを繰り返さないという祈りの決意でもあるのです。そして、この告白が当時の教団議長名で、復活主日に出されたことにも意味があります。

 1944年(昭和19年)の復活主日に教団は、「大東亜共栄圈にある基督教徒に贈る書簡」というものを、教団統理の名によって発表しました。序文と4章からなる書簡は、「日本帝国は万世一系の天皇これを統治したまい、この一大家族国家のもとに、大東亜共栄圈にある基督教徒たちが一致して、敵国人、英米の白人種を殲滅するために、聖戦に赴け」、という檄文でした。戦争中の教団は、「ただ、主を畏れる」のではなく、主の横に宗家と仰ぐ万世一系の天皇を並べ、あの悲惨な戦争に加担してしまいました。1967年3月26日復活主日の戦争責任告白は、この書簡を取り消すことでもありました。

 主イエスは、「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」(マルコ9:50)と、言われました。平和を祈りつつ、主に従う道を歩みましょう。

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