キリストに贖われた共同体

2010年9月19日

説教 原田 史郎牧師

マルコによる福音書 14章10~26節

 キリスト教共同体を表すいろいろな呼び方があります。その一つに、「奉仕の共同体」があります。この共同体は、伝道や証しと共に、この世に正義や命の尊厳を守るために行動する共同体です。

 このような性格と共に、「贖われた共同体」があります。これは、この世に向かって、と言うよりも、もっぱらキリストの方に心を向ける共同体です。

 

 ユダは、主イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行き、金銭の取引を成立させました。この時から、ユダは、主を引き渡す機会を狙います。この闇の中で隠された動きのある一方、表では、過ぎ越しの祭りが、近づいていました。

 そこで、主イエスの一行は、エルサレムの二階座敷に入り、過ぎ越しの食事を摂ります。「過ぎ越しの祭り」は、ユダヤの三大祭りのひとつで、出エジプト記12章21から28節にかけて、その中心的な儀式が記されています。それは、当歳の雄の子羊を選んで、屠り、その血を家の入口の柱とかもいに塗ると、この子羊の血が、神の裁きの天使から、その家の者を守るのです。犠牲になった子羊の贖いによって、イスラエルの民は、救われ、奴隷の地から、解放されたのでした。

 

 最後の食事にユダも入っていました。今日の聖餐式の原型になった、パン裂きと杯の分餐にも、ユダは、招かれていました。自分の罪のために、神さまに顔を向けることの出来ないわたしたちでも、主は招いて下さるのです。罪びとをまったくの無条件で、無代価で招いてくださる主イエス・キリストの共同体、それが「贖われた共同体」としての教会なのです。主の救いと恵みに感謝です。

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