神の愛に生かされて

牧師 原田多恵子

ヨハネ3章16~17

3・11東日本大震災に遭われた人々が「神も仏もない」と、言われたことを聞きました。被害に遭われた方たちは、本当にそのことを実感されたのだと思います。この神や仏は、お正月などに「家内安全、無病息災、商売繁盛」と、日本人が祈り、参拝してきた神や仏のことなのです。この神への失望の中で、「日本人の信じる多くの神々(八百万の神)があるが、真に人を逆境から救い出してくださる真の神との出会いが、今、求められている。」と、あるキリスト教の論壇にありました。

 今、若い人たちは人を救う真の宗教を求めていると、ある新聞に統計と共にありました。3・11やオウムの裁判の終わりの段階に近付いていることもあるでしょう。この世的に優秀な若者たちは、残念なことに真の神を知らず、このために何人もの人を殺やめる罪を犯してしまいました。

ヨハネ3章16節は、万人の聖句といわれます。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」神は、愛です。神は、独り子イエス・キリストをわたしたちに賜るほどに、全ての人を区別なく愛してくださいます。「それは人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」からです。

 過日、A新聞に六つのキリスト教大学の広告が掲載されました。各大学の特徴は、それぞれ違うのですが、学長の言葉に共通していることは、学生たちが「神と人に仕える」こと、その中で、彼らが真の生き方が出来るように教育していると、アピールされています。

わたしたちも、たとえ誰にも愛されなくても、唯一の救いの神に愛されている幸いを感謝して、伝える使命に生きたいものです。そのとき、神は、わたしたちの全てを益とかえて下さるのです。(ローマ8:28)

 

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