宣教の開始

ヨハネによる福音書2章1~11

牧師  原田  多恵子

 

「水をくんだ召し使いたたちは知っていた。」

主イエスの宣教は、ナザレに近いカナでの婚宴の席での奇跡から始まりました。婚宴の途中でぶどう酒がきれてしまい、母マリアは、イエスに「ぶどう酒がなくなってしまいました。」と言いました。

 すると主は「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだきていません。」と答えられました。「わたしの時」とは、ヨハネ福音書では、「十字架」かかられる「栄光の時」または「再臨」を指すといわれます。

 主は、六つの水がめに、水をいっぱい入れさせ、それを世話役のところに持って行くように言われました。世話役は、こんなに上等なぶどう酒が最後まで残っているのに驚きました。

 「労せし僕は知れり」と言います。水を入れた召し使いたちはことの次第をよく知っていました。人には分かりませんが、労した者、奉仕に汗した者に、神さまはその恵みを知らせてくださるのです。

 この奇跡は、わたしたちの日常の中で、大きな危機があっても、主がおられるところには、いつも希望があることを教えてくれます。今回の災害には、災害を受けた方は勿論、多くの人が痛みを覚えます。でも、その中にあって、わたしたちの主は、その絶望の中、危機の中に共におられる、ということを覚えられたら幸いだと思います。ピンチをもチャンスに、不可能を可能へと、主は変えて下さるのです。

前回 目次へ 次回