真理は自由を得さす

 ヨハネによる福音書8章21~36節

牧師 原田史郎

 

 「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と主イエスは言われます。主は、「真理」を「自由」と結びつけられました。

 これに対してユダヤ人たちは、「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません」と反発しました。自分たちは信仰の父であるアブラハムを先祖にもち、神の選民として他の民族に隷属していない、と自負しているからです。彼らは、当時、ローマの支配下にありましたが、霊的な信仰はその支配を受けていない、という誇りがありました。

 しかし、主イエスは、「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」と答えられました。いかなる宗教的な誇りや伝統も、また、その出自の系図、血統も、そのことで罪の赦しは得られないのです。わたしたちを縛り、支配している罪の原理から自由にするものは、「真理」のみであると主は言われます。

 そしてこの真理について、主は、「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)と、神の啓示としてのご自身を、最後の晩餐の席で明らかにされました。

 では、この真理を知るために、わたしたちはどうしたならばよいのでしょうか。主は、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」(32)と言われ、そのことによって、「真理を知る」と語られました。主の言葉にとどまることが大事なのです。この「とどまる」(メイネーテ)という言葉は、継続的にとどまることを意味します。文語訳聖書は「常に我が言葉に居らば」と訳しました。一時的な感情で信仰を左右されるのではなく、常に御言葉に立つのです。

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