メシアへの信仰

牧師  原田 史郎

ヨハネによる福音書9章1~12節

 「イエスはお答えになった。神の業がこの人に現れるためである」

 わたしは20代のころ、岩橋武夫という人の証しを読んだことがあります。岩橋さんは、明治から昭和にかけて生きた人ですが、20歳のとき、網膜剥離によって失明してしまいました。前途をはかなんで、自殺しようとしたとき、隣の部屋にいたお母さんが気配に気付き、彼にしがみついて「生きていて欲しい」と泣いて説得しました。

 そこから武夫青年は聖書を読みだし、洗礼を受けました。盲学校から関西学院大学に進み、後に教師になって、教育者として生涯を全うしました。ライトハウスを設立し、またヘレンケラーが来日したときには全国の盲人の組織をつくり、国際的にも活躍しました。著作も著し、ヘレンケラーの「私の生涯」という翻訳もあります。

 失明という大きな試練に出合い、人生を一度は捨てる決心をした青年が、主イエスのお言葉によって、素晴らしい神さまの栄光を現わす器に変えられたのでした。

 主イエスは、「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」(39)とも言われました。見えることだけに一喜一憂するのではなく、見えないと思いこんでいる、主の素晴らしいご計画に目を留めるのです。

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