破局からの救い

牧師 原田 史郎

使徒言行録27章33~44節

 使徒言行録27章は、長い章で、使徒パウロのローマへの船旅と、遭難の出来事が記されています。カイザリヤから、他の囚人たちと船出した一行は、先ず、ミラを経てクレタ島を目指します。時期的に、航海するには、危険なときに入っていましたが、パウロの忠告は無視されました。

しかし、マルタ島までの航海で、使徒の忠告は現実のものとなります。暴風の中で、積荷を捨て、太陽も星も見えず、船は風に流されるままに漂流し始めます。今日、「わが魂を 愛するイェスよ、波はさかまき 風ふきあれて、沈むばかりの わが身を守り」という讃美歌456番を歌いました。

わたしたちの生涯にも、ときどき思いがけない、このような突発的な出来事の起こることがあります。進む方向さえ見えない、嵐の中で、なす術(すべ)もないのです。

14日目にパウロは、「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです」と人々に食事を勧めました。この「生き延びる」は、原文では「救われるために(ソーテリアス)」という言葉です。

この破局から救われるために、絶望しないで食べよう。そして肉体的な活力を得て、日常の営みを続けようではないかと、言うのです。

それは、イエス・キリストの父なる神さまは、「あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはない」と約束してくださるお方だからなのです。(27章22~25参照)

わたしたちは、この神さまの救いの約束によって、決して希望を失うことはありません。

先日、『新生釜石教会だより』~震災体験特集号を柳谷雄介牧師から頂きました。家を流され、愛する人を失い、がれきに囲まれ、食事も不足している避難所の中で、人々を勇気付けたのは、慰問に来た高校生たちのコーラスでした。柳谷師はそこで

 「泣いてもいい くじけたっていい

  そんな気持ち そのまま歌うんだ

  きっと誰かが受け止めてくれる」

という六節からなる詞を作りました。そう、主が受け止めて下さるのです。

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