キリストにおいて一つになる

牧師 原田多恵子

エフェソの信徒への手紙2章11~22節

ユダヤ人は、神に選ばれたものとして、割礼を生後8日目に受け、与えられた律法を守るものであり、それらが出来ないものは、「異邦人」であり、同胞として認めませんでした。ユダヤ人だけでなく、壁はどこにもありました。ギリシャ人は、世界は、「ギリシャ人と未開人」しかいないと考え、軽蔑しました。今、反日的な隣国の影響を受けて、日本の書店でもそれに反発した本の特設コナーが設けられています。人々を分断する排他的な壁が、いたるところにあるのです。

しかし、キリストがご自分の体を十字架につけられることによって、双方の「壁」が取り除かれました。キリストは、律法を完璧に守ることによってでも、同盟を結ぶことによってでもなく、「御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」「平和」をわたしたちにもたらしてくださったのです。このキリストによって、わたしたちは一つに結ばれ、神の家族となり、神の住みたもうキリストの聖なる神殿(教会)となるのです。「実に、キリストはわたしたちの平和であります」

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