「豊かな実を結ぶために」

(5月18日の説教から)

     牧師  原田史郎

ヨハネによる福音書15章1~10節

 「わたしはまことのぶどうの木」と主イエスは言われます。まことでない、偽りのぶどうの木は、実を結ばない木です。神は、イスラエルをぶどう畑に植え「善いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった(イザヤ書5章2節)」と嘆かれました。しかし、イエスは豊かな実を結ぶよいぶどうの木です。

主は「わたしにつながっていなさい」と言われます。「つながる(メネイン)」という言葉が何度も繰り返されます。主イエスにつながるとき、わたしたちは命をいただき実を結ぶことができるのです。

 そして、主とわたしたちの関係は「わたしもあなたがたとつながっている」と言われるように、相互依存の関係です。わたしたちの主につながる力は小さく、小さな試練でも揺れ動き、離れてしまう弱さを持っています。しかし、主の大きなみ手が、わたしたちの小さな手を確りと離さないように握っていてくださるのです。

 フランスやイタリヤのぶどうの産地は、乾燥した地味の薄い土地で、他の植物が育ちません。だが、ぶどうの根は、地下10メートル以上にも及び、深い地下水脈につながっています。地表がどんなに乾燥していても、この水脈からのミネラルをたっぷり含んだ命の水が、ぶどうの木を通して、枝に供給され、実を実らせるのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである(5節)」キリストの体である教会の生活を通して、主にしっかりとつながり、実りを結ぶ者となりましょう。

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