「父のみもとに行く」

(5月25日の説教から)

牧師  原田多恵子

エフェソの信徒への手紙4章1~16節

 今年の教会暦によれば、キリスト昇天日は、5月29日(木)になります。主イエスは十字架につけられ、死して葬られ、三日後に復活され、後40日間にわたり、弟子たちを始め、多くの人々に現れました(使徒言行録1章3節、コリント一15章4節以下)。  そして弟子たちの見ているうちに天に上げられました(ルカ24章51節、使徒言行録1章9節)。

 エフェソの手紙は、この昇天されたキリストが「捕われ人を連れて行き、人々に賜物を分け与えられた」と詩編68編19節を引用します。もっとも旧約聖書の言葉は、「人々を貢ぎ物として取り」となっていますが、パウロは、詩編の意味をエフェソの手紙のように解釈したのです。敵を征服して勝利者になられたキリストは、高く上げられた「高挙(こうきょ)」によって、けっしてご自分だけの権能のためにではなく、わたしたちに対してその賜物を分け与えられるお方なのです。

 高く挙がるということは、低く降るということがなくては、起こりません。キリストは、人としてこの地上に降られただけでなく、さらに低く、死者のある黄泉(よみ)の世界にまで降られました(ペテロ一3章19節)。この低く降られた「謙遜」のキリストは「すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く昇られた」のです。

 そして今、栄光の座に着かれたキリストは、聖霊なる「内住のキリスト」として、わたしたちと共にいてくださるのです。なんという感謝でしょうか。

 

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