「老いの新しい出発」

(9月14日の説教から)

   牧師 原田史郎

  創世記12章1~7節

コリントの信徒への手紙二 5章1~5節

 「主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい」 創世記12章は、この主の言葉から始まります。神は、この世界を「光あれ」という言葉で創造されました。この主の言葉が、アブラム(後のアブラハム)という一人の人間に向かって発せられたのです。

月の神を礼拝するウルを出て、ハランに移ったアブラムに、何故、神は、そこを出て「わたしが示す地に行きなさい」と言われたのでしょうか。

アブラムが出発した後も、父テラと弟ナホルは、ハランに留まりました。聖書を読んでいきますと、後の世代になるナホルの息子ラバンは、叔父の家から逃亡するヤコブ(アブラムの孫)とラケルに自分の守り神の返還を求めました(3131節)。これから分かることは、どうやらテラとナホルは、依然として偶像から離れることが出来なかったようです。神のアブラムへの促しは、このように偶像と結びついている父の家を捨て、生ける真の神を礼拝するための出発であったのです。

「アブラムは、ハランを出発したとき75歳であった」 この時代75歳は、今と違い高齢とはいえませんが、老年に向かっていたのも事実です。今日は、敬老祝福礼拝です。老年になると、今まで経験しなかった新しいステージに入ります。使徒パウロは、この老年のたたかいを「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています(Ⅱコリントの信徒への手紙52節)」といいました。 永遠の生活を目指しながら、わたしたちの地上の歩みは、破れ易くもろい幕屋のようなものです。あちらをつくろい、こちらを修復しながら、いつも何が起こるかも知れない中で、苦闘しているのです。しかし、神は、そのようなわたしたちに「その保障として“霊”を与えてくださったのです(同、5節)」とパウロはいいます。老いもまた新しい出発です。主の言葉と聖霊に導かれつつ、祝福への出発を感謝しましょう。

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