「戦い抜き、走りとおす」

(召天者記念礼拝 )

牧師 原田 史郎

テモテへの手紙ニ、4章6~8節

 

使徒パウロは、自分の最後が近づいてきたことを悟り「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています」と、殉教の覚悟をテモテに書き送りました。そして「わたしは、戦いを立派に戦い抜いた」と言います。信仰の歩み、信仰生活は、戦いであります。かつてテモテに「その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい(テモテへの手紙一、1章18節)」と奨めたことでした。

「戦い抜く」ことはまた、神さまの「決められた道を走りとおし、信仰を守り抜く」ということです。マラソンやロードレースには、決められた道があります。その道を外れるならば、失格者になってしまいます。自分の欲望による自分勝手な道をいくのではありません。イエス・キリストに従い、主の導かれる道を歩むのです。南房教会の11人の召天者の方々は、85年から101年におよぶ、地上における信仰の戦いを立派に戦い抜き、この道を走り抜き、天に帰って行かれました。

地上にあるわたしたちの信仰生活は、山あり谷ありかも知れません。しかし、神さまは、「義の栄冠」という永遠の命の冠を授けてくださるのです。この信仰の先輩方の後に、わたしたちも続くのです。(11月2日説教 )

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