「主のみ国がきますように」

(11月9日の説教から)

牧師 原田 多恵子

コリントの信徒への手紙一11章23~25節

 

イスラエルの民が、奴隷とされていたエジプトから解放されるとき、神さまは、一つのことを命じられました。「子羊の血を入口の柱と鴨居に塗りなさい、そうすれば裁きの使いは、その家を通り過ぎる」というものでした。民は、その家の中で、裾をからげ、立った侭で、酵母を入れないパンや苦菜、そして屠った小羊の肉で食事を取り、その夜、エジプトを脱出したのでした。(出エジプト記12章21~28節)

この出来事を記念する「過ぎ越しの食事」の席上、主イエスはパンを取り「これは、わたしの体である」と言われ、食事の後、杯も同じようにして「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である」と言われました。これが今日、聖餐式として守られているのですが、この聖餐は、十字架に架かられた主イエスの救いを表わしています。更に使徒パウロは「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」と言いました。

主がもう一度来られるという希望が聖餐にはあるのです。主の新しいみ国の来るときまで、わたしたちは、喜びと感謝をもって主の救いの道を歩み続けるのです。

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