「愛された如く愛せよ」

        (5月3日の説教から)

    牧師 原田 史郎

ヨハネによる福音書15章11~17節

主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」とわたしたちに言われます。「掟」と聞くと、「村の掟を破る」とか、何か懲罰を連想するかもしれません。掟を意味するギリシャ語をどう訳するのか、翻訳者たちが苦心するところですが、文語訳は「誠命(いましめ)」、岩波訳は「命令」と訳し、山浦氏は「言いつけ」と訳しました。また、主の命じられた「互いに愛し合いなさい」は掟破りの刑罰を想定したものではなく、赦しと慈愛に満ちた奨めです。

障害者施設で指導員として働いた人が「愛された人は、愛されたことによって、愛する力を身につけ、心の深い所に安心感をもつことが出来ることに気付きました」ということを書いています。人間は、愛されたものでなければ愛を生み出し、人に与えることが出来ません。主の愛しなさい、という言いつけは、まず「わたしがあなたがたを愛したように」という主の深い愛から生まれて来るのです。主イエスは、わたしたちを友と呼び、「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と愛してくださいました。この主の愛によって、わたしたちも愛するのです。

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