「神と恵みの言葉に生きる」

(7月12日の説教から)

牧師 原田 史郎

使徒言行録20章17~32節

 ミレトスに到着したパウロは、使いをやってエフェソ教会の長老たちを呼び寄せました。「パウロはこう話した」で始まる18節から35節までは

彼の「遺言説教」とよばれているところです。

ここで使徒は、まず「わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです」とアジア州を訪問した日以来のことを回想します。ユダヤ人の陰謀によって数々の試練に遭いながら、主に仕えてきたこと。その中で「神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシヤ人にも力強く証ししてきたのです」と語ります。

「そして今」について「わたしは“霊”に促がされてエルサレムに行きます」と表明します。この「促がす」というギリシヤ語は「縛る(マタイ22章13節)」の意味があり、「今、われ心搦(から)められて(文語訳)」という強い内的動機を表している言葉です。それは「投獄と苦難とが待ち受けている」ことが、聖霊によって示されていることと関係するでしょう。

さらにパウロの思いは、教会の将来にも及びます。長老たちが、群れの監督者(ここでは、牧会者、羊飼いの意)として「あなたがた自身と群れ全体とに気を配り」使徒が三年間「夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして目を覚ましていなさい」と言います。さらに「そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉はあなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」と勧めます。内なる異端と外からの迫害の中で、キリスト者の共同体が立つ基礎、そしてパウロが究極的に信頼を置いたのは、この「恵みの言葉」なのでした。「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯(詩編119編105節)」 神のお言葉によって歩むのです

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