「天を思いつつ生きる」

(11月1日の説教から)

原田史郎 牧師

 ヘブライ人への手紙11章13~16節

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました」という「この人たち」は、 特にアブラハムなどの族長たちと考えるのが妥当でしょう。彼らが「信仰を抱いて死にました」というとき、彼らが終生その信仰を捨てることなく、最後のときにも神に信頼し、神もまた旅立ちのときに共におられたということです。それと共に、それはまた彼らが、求めていたものの成就を見ることなく、信仰によって希望を持ちつつ死んだということでもあります。 彼らは、約束されたものを「はるかにそれを見て喜び声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいのものである」と信仰告白したのでした。何故、かれらはそう言い表したのでしょうか。それは彼らが、真に自分の行くべき故郷を探し求めていたからです。戻る機会があったにも拘わらず、「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです」といわれます。使徒パウロはユダヤ人でしたが、同時にローマ市民権を持っていました。この市民権の持つ特権は大きなものでしたが、彼は、それを天上と比較できない比喩として、塵芥のように考え「わたしたちの本国は天にあります(フィリピの信徒への手紙3章20節)」と言い表しました。わたしたちも、この世の戦いの中で、いつも地上よりはるかに勝った天上の国を思いつつ歩むのです。

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