一粒の麦、地に落ちて死ななければ

原田 史郎 牧師

ヨハネによる福音書12章20~36節 

 

過越しの祭りのとき、数人のギリシャ人が、フィリポを通して主イエスに面会を求めてきました。主は、これを聞かれると「人の子が栄光を受ける時が来た」と言われます。ヨハネ福音書で「栄光の時」は、主が十字架に架かるときを意味します。主は十字架の上で「成し遂げられた(19章30節)」と言われました。それは旧約以来からの救いの預言が成就され、神の栄光が現わされたことであるからです。

そして更に「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」と言われます。

「大賀ハス」と名付けられた蓮の種がありました。この種は何と2千年の間、一粒のまま保たれていました。しかし、種が植えられ発芽すると、美しい蓮の花が咲きました。主イエスが十字架に架かり、犠牲の死をとげることによって、罪びとであるわたしたちに、永遠の命の道が開かれました。一粒の麦の死は、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」という真理を表すのです。「永遠の命に至る」者として、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え」という主イエスの招きに応答して歩みましょう。

前回 目次へ 次回