「イエスは命のパン」

(7月17日の説教から)

原田 史郎 牧師

ヨハネによる福音書6章22~27節   

 主イエスが、5千人以上の人たちに食べ物を与えるという奇跡を行った

翌日のことです。すでに主と弟子たちは、カファルナウムに戻っていましたが、群衆やティベリアスから来た人々は、主を捜し求めてついに主を見つけます。主は彼らに「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからである」と、言われます。5千人の給食は、イエスが「天から降った命のパンであり、メシアである」ことを示す「しるし」でした。だが彼らは、主のメッセージよりも、今日、満腹になること、物質的に豊かになることを求めていたのでした。そして、わたしたちは19世紀以来、今日に至る200年間、化石燃料の利用、科学技術の進歩、市場経済の発展に伴って高度成長の夢を追い続け、気が付けば、資源は枯渇し、環境は汚染され、格差はますます拡大するという矛盾の中にあります。しかも、依然として人々の欲求は満たされないままなのです。

 しかし、主は「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と言われました。朽ちる食べ物は、それがどんなに豊かでも一時的なものでしかありません。ひもじいときもあるかも知れませんが、満たされるときもあるのです。どんなときでも、イエスに心を向け、永遠の命を求めて働くこと、生きることこそが、人間にとって中心的な一大事なのです。

 預言者エリヤは、干ばつで食ベ物の払底したサレプタのやもめに、器に少々の水と一切れのパンを求めました。やもめは、最後の小麦粉で、息子と自分のためにパンを造り、後は死を待つばかりと覚悟していました。だが彼女は、エリヤが「主はこう言われる。『壺の粉は尽きることなく/瓶の油はなくならない』(列王記上17章14節)」と言った言葉を信じて、エリヤの言葉どおりにしました。そして「主がエリヤに告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった(同16節)」のです。彼女は満腹を捨て、主の御言葉を選択しそれを実行することによって、その結果、尽きることのない食べ物を得たのでした。

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