「マクペラの洞穴を用意する」

(7月24日の説教から)

原田 史郎 牧師

創世記23章1~20節

 サラが127年の生涯をヘブロンで閉じ、アブラハムは「胸を打ち、嘆き悲しみ(号泣する)」ました。サラは、アブラハムがいまだ見ぬ地に旅立ってから62年間、苦楽を共にした糟糠(そうこう)の妻でした。

 アブラハムは、サラのために寄留先のヘテ人エフロンから銀400シケルで彼の畑の端にあるマクペラの洞穴を購入します。

 何故アブラハムは、寄留者でありながら墓地を用意したのでしょうか。

創世記にも聖書全体をみてもその動機については、なにも書かれていません。むしろ聖書が強調していることは「ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。(ヘブライ人への手紙11章16節)」ということです。アブラハムにとって、墓地は地上における仮の住まいでしかないのです。地上の墓地は、わたしたちの目標である永遠の命に至る仮の一里塚なのです。

 だがアブラハムがマクペラの洞穴を購入したことには、隠された意味があると思います。それは後にヤコブが、孤独と挫折の中、荒野のベテルで神の天使たちが天にまで達する階段を上り下りしている夢を見ました。翌朝、ヤコブは「枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て(創世記28章18節)」ました。アブラハムが敢えてマクペラの洞穴を取得したのは、この地に行くことを彼に呼びかけ、促がし、導きそして祝福してくださった神さまとの歩みの証しだったのではないのでしょうか。わたしたちの墓地も、神さまと共に生きた証しとしたいものです。

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