「神の富と知恵」

(9月18日(日)の説教から)

  牧師 原田史郎

ローマの信徒への手紙11章33~36

 「異邦人の使徒」と呼ばれたパウロですが、彼の心には同胞イスラエルの救いへの篤い祈りがありました。使徒の深い思索と祈りは、神の救いが、異邦人の救いに止まらないで、「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです(29節)」と、最終的には、イスラエルにも及ぶことを明らかにしました。この恵みを悟ったとき、パウロは「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」と神を讃美します。

神の「富(プルートゥ)」は、「豊かさ」とも訳される言葉です。「その豊かな(プルートゥ)慈愛と寛容と忍耐とを軽んずるのですか(2章4節)」とあります。神の富は、「慈愛と寛容と忍耐」なのです。それはまた「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを(エフェソ3章18節)」と祈った彼の祈りとも重なることであります。神の「知恵」は、人間が考えることの出来ない卓越したものでした。神の救いの計画は、罪びとである人間の激しい反抗によって、ついに救い主キリストを十字架につけてしまいました。しかし、神の知恵は、この反抗によっても挫折することなく、この挫折をむしろ、わたしたちの救いの門とされたのでした。そして神の「知識」は、わたしたちの罪や過ち、過去と将来の全てを知っておられるのです。「栄光が神に永遠にありますように、アーメン」

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