「救い主キリスト誕生!」

(12月18日(日)の説教から)

牧師 原田史郎

 ルカによる福音書2章1~20節

1944年、ドイツのダハウ収容所で小さなクリスマスが守られました。そこには外交官や新聞記者たちが獄につながれていました。その中にM・ニメラー牧師も、ヒットラーのナチス政権に抵抗して、宣教と信仰の自由のために戦いましたが、逮捕され、既に6年が経過していました。彼らは、コンクリートの冷たい壁に囲まれて生活しているうちに陰鬱になり、恐れと焦りを覚えるようになっていました。だが、最も危機的なことは、一つの疑問が彼らの胸の内に生まれようとしていたことです。それは、神さまは、わたしたちの世界に関心を示しておられないのではないか。この世で小さく惨めなわたしに何の注意も払っておられないのではないだろうか。それは、彼らが神なくして絶望的に生きることでありました。

 まさにそのとき、彼らは凍える手をもって、聖書のクリスマスの出来事を記した章を開きました。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録せよとの勅令が出た」と読み始めます。そして、ついに2章10節から11節まで読み進みました。「恐れるな、見よ(口語訳)」と書いてあります。天使は不安と恐れに立ちすくんでいる羊飼いに呼びかけました。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」

 ニメラー牧師は語り始めました。「わたしたしの上に重くのしかかっているものがあります。この全ての重荷を一緒に負うために来てくださった方を、わたしたちはベツレヘムの乳飲み子に求めようではないか。そのとき、疑いもなく“喜び”を見るでしょう」

2016年の今日、わたしたちもまた、彼らのように、生まれたこの乳飲み子イエスに「神が共におられる」という「しるし」を見るのです。

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