「このように祈りなさい」

5月21日

牧師 原田史郎

マタイによる福音書6章1~15節

「だから、こう祈りなさい」と、主イエスは言われます。

主が教えてくださった主の祈りは「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけから始まります。「父」というとき、わたしたちはどんな人物像を思い描くでしょうか。今日、父の権威は昔に比べて決して高いものではありません。しかし、主イエスの時代のユダヤでは、子どもは父に対して、畏れと信頼のイメージをもって接していました。家族の霊的な指導者でもあった父は、家族、特にその子に対して、惜しみなく全ての愛と必要なものを与えました。そのように、天の父も、わたしたちに地上にあるものを、惜しみなく与えてくださるのです。ですから、かつてエリヤと対峙したバアルの預言者(列王記上18章26~29節)のように、くどくどと述べる必要はなく、空しい言葉数を重ねることもいらないのです。主が「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」と言われたように、言葉はたどたどしくても、心から父を信頼して祈るのです。

最後に主は「人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる」と繰り返えされました。18章で主は、1万タラントン(約4,300億円以上)の負債を帳消しにしてもらった男の話をしています。けれどもこの男は、天文学的な負債の免除に感謝するどころか、自分が貸したわずか100デナリオン(1万タラントンの60万分の1)のことで、その人を牢に投げ込んでしまったのです。わたしたちは、すでにキリストの血によって罪を赦されているのです。主の祈りにあるものは、この罪の赦しとその感謝なのです。神の惜しげもない愛の中に招かれ、罪赦された者として、畏れと信頼をもって祈りたいものです。

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