「天に上げられたキリスト」

5月28日

牧師 原田史郎

ルカによる福音書24章44~53節

キリストの昇天は、誕生、十字架と復活に較べると、あまり語られることがありませんが、使徒信条では「三日目に死人のうちよりよみがえり、天に上り、全能の父なる神の右に座したまえり」と十字架と復活に並んで告白される大切な教えです。

キリストの昇天はいくつかの意味があります。一つは、主が昇天されることによって、わたしたちの天に行く道が開かれたことです。かつて陸の孤島といわれた館山ですが、今は鋸山の下を通るトンネルによって、誰もが容易に千葉、東京と往復出来るようになりました。「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と言われた主は、ご自身が父なる神に至る道として、天に通じる道をわたしたちに開いてくださったのです。

また、キリストが父なる神の右に座してくださったことを、使徒パウロは「復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです(ローマの信徒への手紙8章34節)」と語っています。わたしたちの罪を告発する悪魔の訴えに対して、キリストが十字架で血を流されたことによって「わたしたちの罪を言い立てる者に対して父に嘆願してくださる(改訂英語標準訳)」のです。

さらに、キリストは昇天されるとき「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」と弟子たちに命じられました。キリストが天に帰られたことによって、聖霊がわたしたちに送られるのです。これにより、キリストはどんなときにも、どんな所にも共にいてくださるのです。この約束の聖霊をいただくために、わたしたちは心を備え祈るのです。

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