「悪と戦うキリスト」

(2月25日の説教から)

牧師  原田史郎  

マルコによる福音書3章20~30節  

  主イエスの悪霊を追い出すことなど超越的な活動は、熱狂的に支持する人々がいる半面、「あの男は気が変になっている」と、批判的な者もいました。イエスの身うちの人たちは、長男の噂を聞いて取り押さえにやってきました。身内は、世間に迷惑をかけることを恐れ、また、イエスのことを心配してやってきたのでしょう。

 この延長上に、さらに悪意と非難をもって、主の活動を苦々しく見ていたのが律法学者たちです。エルサレムから下ってきた彼らは「あの男はベルゼブル(サタン)に取りつかれている」と言い「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」とまで、非難の度を高めました。

これに対して主は、サタンであっても内輪で争うならば、国も家も立ちゆかないと、たとえを持って反論されます。そして「人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される」と言われ、さらに「しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の攻めを負う」と言われました。わたしたちも無知のゆえに、しばしば聖なる方を冒涜し、神の人格に泥を塗るような罪を犯す者です。キリストは、ご自身に向けられたそのようなわたしたちの罪をも背負って、十字架にかかり、救いを全うされ、わたしたちの罪を赦してくださいました。だが、このキリストの救いのみ業を悪霊の業とすることは、神の救いに真っ向から対立し、主に敵対するサタンにつく者となるのです。しかし今、キリストが悪と戦われることによって、神の国、キリストの救いは、確実にわたしたちの所に来ているのです。

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