「受難の予告」

(3月4日の説教から)

牧師  原田史郎  

マルコによる福音書8章27~33節

フィリポ・カイザリア地方に行ったとき、主イエスは人々が自分について何と言っているかと聞かれた後、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちに聞かれました。ペトロが「あなたは、メシア(キリスト)です」と答えますと「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」と、あからさまに話されました。

「すると、ペトロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた」のです。 今までイエスの言葉を、自分の思いや言葉に優先して従ってきた弟子ペトロでしたが、ここで一転して主を教える教師となり、保護者に変わります。

けれどもペトロの行為は、神の救いの計画である十字架への道をイエスに断念させ、この世の安寧を欲する人間的な思いです。かつて主が、荒野で悪魔から受けた同じ誘惑が、弟子の口を通して語られたのです。主は「サタン、引き下がれ」と厳しくペトロを叱られました。人間的な思いは、しばしば神のみ心に背き、救い主の真の姿を見失わせてしまいます。受難週のただ中、主に心を集中し、主を注視し、主に従って歩むのです。

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