「山上の栄光と地上の現実」

(3月11日の説教から)

牧師  原田史郎  

マルコによる福音書9章2~10節  

フィリポ・カイザリアでのメシア告白の六日後、主はペトロなど三人の弟子たちを伴い、高い山に登られました。すると「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き」出しました。そこに「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」と、マルコは記します。

主の姿が「変わる(メタモルスタイ)」という言葉は、特別な言葉で、ギリシャでは、神が人になるとき、または、人が神の姿に変わるときにのみ 使われます。パウロも二回使っており、その一つは「心を新たにして、自分を変えていただき(ローマ信徒への手紙12章2節)」です。それは、聖霊の働きによる全人格的な変化を表しています。

エリヤは、ユダヤ人の間では預言者を代表し、モーセは、律法を表しています。すなわち、ユダヤ人の「預言者と律法」は、わたくしたちの「旧約聖書」を意味するものです。ルカは、このとき「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後につて語っていた(ルカによる福音書9章31節)」と書いています。それは、フィリポ・カイザリアでの受難予告に他なりません。驚いている弟子たちに「これはわたしの愛する子、これに聞け」と雲の中から声がしました。信仰は、主の声(御言葉)」を聞くことであります。

この後、主は直ちに山を下り、地上の現実に向きあわれます(9章14節以降)。わたしたちは主の栄光を拝する者であると共に、地上の現実の中に下って来られた主に従って歩む者でもあるのです。

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