歴史を超えた山上

3月31日

牧師 梁 在哲

ルカよる福音書9章28~36節

主イエスは「イエスは何者なのか」という問いに、ご自分の「ご受難の予告」を通してお答えになられた後、ペトロとヤコブとヨハネを連れて高い山に登られた。その山上で主イエスのお姿は、弟子たちの目の前で変わり、「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬ程白くなった」(マルコ9:3)。主イエスはもう一度「イエスは何者なのか」という問いに、御自ら輝かしいお姿で再び来られる神の御子メシアでおられることを身をもってお答えになったのである。

 その山上は、我々人間の人知と歴史や日常の営み‐大きな権力や富を手に入れた支配者や勝利者の戦い‐を遥かに超えたところであった。その場所は、人間を罪と死の奴隷から御子なる主イエスの十字架を通して救い出してくださる父なる神の御旨によって導かれる「歴史を超えた山上」であった。高い山上で主イエスのお姿は変わられたが、父なる神のご約束と御子なる主イエス・キリストは「昨日も今日も、また永遠に変わることはない方です」(ヘブライ13:8)。

父なる神は全てのものを御旨のままに変えることがおできになるお方である。呪いを祝福に、悲しみを喜びの踊りに、悪人の栄光を恥に、歌を哀歌に変えることがおできになる。そして御子なる主イエスは再び来られる時、我々の体を栄光に輝くものに変えてくださるお方である。「キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によってわたしたちの卑しい体をご自分の栄光ある体と同じ形で変えてくださるのです」(フィリピ3:21)。主イエスのご受難を覚え、自らの罪を悔い改めつつ、祈りに励む受難節の時、私たちは変わらぬ主イエスの御慰めの御言葉を信じつつ、勝利と栄光のイースターを迎えたいと願うのである。

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