隅の親石となられた主

4月7日

牧師 梁 在哲

ルカよる福音書20章9~19節

主イエスは葡萄園の例え話を用いられて、ご自身がどのようにこの世に来られて、苦しみを受けられるか、そして神は人々をどのようにお裁きになるかについて語られた。葡萄園の主人の最愛の息子のように、神は御子イエス・キリストをお遣わしになり、御子は御父の権威をもってお働きになられた。御子は神に背いた、悪しきイスラエル民をご自分に取り戻すために、世に遣わされたのである。

最後に主イエスは、「「その石の上に落ちる者は誰でも打ち砕かれ、その石が誰かの上に落ちればその人は押しつぶされてしまう」(18節)、と言われた。それは「隅の親石となられた主イエス」ご自身の十字架と復活に依り頼むかどうかと言う二者選択のものであった。「家を建てる者に捨てられた石。これが隅の親石となった」(17節)。「隅の親石の上に落ちる(ぺソン)」ことは、東方の博士たちが幼子イエスのもとに「ひれ伏す」ことであり、会堂長ヤイロが死にかけていた12歳の一人娘のために主イエスの足もとに「ひれ伏す」ことである。

主イエスは、今もありのままのわたしたちが、「隅の親石」の上に落ちるように、そして高ぶりや頑なな心を打ち砕かれた等身大のまま、ご自分の足もとにひれ伏すように促しておられる。わたしたちは主イエスの御慰めのお声に励まされ、「隅の親石となられた主イエス」の上に落ちて打ち砕かれ、その足もとにひれ伏し、十字架とご復活を証しつつ、勝利のイースターを迎えたいと願うのである。

前回 目次へ